
ヴァンヴの蚤の市
週末になればパリの街のどこかで開かれている蚤の市ですが、中でも昔から毎週末開かれているヴァンヴの蚤の市(Marché aux puces de la porte de Vanves)は有名で、パリの人たちのみならず世界中から観光に来ている人たちもたくさん訪れます。
今、僕の住んでいる自宅からは徒歩でも行けるくらいに、このヴァンヴの蚤の市はとても近いのですが、ついいつでも行けるという感覚からか、しばらく訪れるのが先伸ばしになっていましたが、この日曜日の朝、久しぶりに足を運んできました。
文字通りの青空市ですので、普段は何もないところへ朝のとても早い時間帯にワゴンで売り物を運んできた人たちが、半日だけの仮設のお店を開くために各地からやって来ます。
午後1時を過ぎる頃には客足を見ながらゆっくりと片付け始めるので、骨董の売買をお小遣いにしているような人や、何か特別に目当てがあるような人たちは、朝いの一番で来ては何か目ぼしい物がないかと探しているそうです。
ブラブラと連なるお店に並ぶ骨董品を見ているだけでも面白く、時折美術館や博物館に並んでいてもおかしくないような物が並んでいる時もありますし、ましてやそれらを上手に交渉して買うことが出来るとなれば楽しくないはずはありません。
今の時代は兎にも角にも安くて便利であれば使い捨てが当たり前の消費社会です。
大量に生産して延々と消費者に買い続けてもらうように、使い捨てられる物を作っていくには人の手ではもう間に合わず、機械化して作るほかありません。
こうして蚤の市に足を運んで毎回思うのは、作られてから長い年月を経ている物たちなのに、どうしてかとても魅力的に感じるということです。
それはただ普段あまり目にしないせいだからなのか、それとも長い年月を経ているが故に魅力が備わったのかと考えたりもしましたが、僕なりの結論を言うと、それは作られた時代や、経った月日によって魅力が備わるのではなく、結局のところ『よく造られているものには普遍的な魅力がある』ということです。
その観点でいうと、今街を歩いていて魅力的で欲しいと思うようなものはあまり無くなってしまったように思います。 あるいは僕自身が歳を重ねて来ているせいで、ある程度『物を見る目』が肥えてきたということも挙げられるかもしれませんが。
当然と言えば当然ですが、家具や食器、置き物にアクセサリー、現行品で作られているものに比べ、例えば50年、60年昔に作られていたものは、生産過程の中で人の手に頼るところがまだ今と比べてずっと多かったことでしょうし、材料もプラスチックを多用したような、数年経って『壊れてくれる』ような物を器用に計算して作るよりも、しっかりとした丈夫なものを作ってそれなりの値段で売る、というな感覚であったのではないかと思います。
そのことから昔の物はなんでも現代に比べて感覚的にはもっと高額ではあったのではないかと思いますが、(まだテレビが生産されたばかりの頃は平均月収の何か月分だったなんて言いますからね。)その分、途中修理を繰り返しながらでも平均的にすべての『物』が今よりも、もっと長いあいだ使われていたのではないかと思います。

蚤の市に到着して、すぐに目についた大きな振り子時計。 横幅は30センチ以上はあったのではないかと思うので、実際に壁にかけて振り子が揺れたら存在感は抜群にありそうです。
毎日決まった時間に正面の穴にゼンマイを巻き上げるための鍵をさしてギーコーギーコと巻き上げ、時間合わせもこの時代のものは直接指で針を動かします。
これでアフターヌーンティーの時間を過ごしたら素敵ですね。 どのようにして使うのか? いろんな街の紋章の印。
日本でも古い焼き物に若者達があまり目を向けないのと同じように、フランス人の若者には人気があるかわかりませんが、こうした柄の綺麗な食器は人気が高く、吟味して買っていく人をよく見かけます。 家に招待されてお茶やコーヒーがこんなカップで出てきたら可愛いですね。
それからちょっと今まで見かけたことがなかった・・なんでしょう? よく見るとフランスのいろんな街の紋章が入っているのですが、左右が反転しているのを見ると上部を使って何かに転写したりするのでしょうか。 お店のおじさんは他のお客さんと話し中だったので勝手に手に取ってひっくり返して見てみると下の面はツルツルで何もありませんでした。 文鎮にしては金属の塊なので重すぎるし・・。 やっぱり気になるので次回また見つけたらこれがなんだか聞いてみようと思います。

僕自身が身に着ける機会はなくても、やはり綺麗だし、よく作られていると思えば足を止めて、こうしたアクセサリーもじっくりと眺めてしまいます。
手作り感があっていいですね。 おばあちゃんにも若い人にも似合う感じの世代を超えて楽しめるアクセサリーだと思います。
こうした蚤の市は足を運んで来て初めて『物』と出会えるので、もしも一目惚れするようなものを見つけたらさっそく値段交渉です。

消費するワインの数も桁違いなだけあって、コルク抜きにもいろんな時代の様々なバリエーションがありますね。 僕のお勧めは、やはり初めての時には少し使い辛く、慣れが要りますが、折りたたみ式になっていて、テコの原理を使ってスマートに栓を抜くことが出来るものです。 ワインを自宅で飲む人は、是非ひとつ、ライヨールのソムリエナイフを。

丸く膨らんだ風防にホーローの文字盤。 先ほど出てきた大きな壁掛け時計と同様に毎日風防を開けて専用の鍵を差し込んでネジを巻き上げる懐中時計。 まだおそらくリューズの観念もない頃の懐中時計なので20世紀になる前のものかもしれません。
こうした懐中時計の他にも年代物の機械式のオメガやロンジンなど、スイスの腕時計もたくさん見かけます。 僕も時計が好きなのでどれかひとつ買ってみたくなりますが、内部のムーブメントをメンテナンスに頼む費用も考えるとつい買うのを躊躇ってしまいます。
これで扇げば19世期にタイムスリップ?。 チクタクチクタク・・・。
少しくたびれているところを見ると、おそらくはきっと誰かが使っていたであろう昔のフランスの長閑な風景が描かれている大きな扇子。 どれくらいの価値があるかは見当がつきませんが『一目惚れ』した人がきっと買っていくのでしょうね。
銅製のカゴに入った小鳥をモチーフにした機械式時計。 秒に合わせて小さな鳥が左右に身体を振ります。 きっとかなり昔に作られたものだと思いますが、こうして今も動いてるのを見るとなんだか感動を覚えます。

日本と同様に、こうしたミニチュアの自動車は子供よりもむしろ大人の方が真剣に集めている気がします。
フランスなのでルノーやプジョー、シトロエンなどフランス車ばかりが並んでいます。 僕も小さかった頃はたくさんミニカーを母に買ってもらって遊んだ記憶がありますが、大きくなるにつれて捨てられてしまったのか、あるいは自分で捨ててしまったのか、日本の実家にはもうありません。

古い書籍のお店の店頭に並んでいたのはフランス映画の『美女と野獣』(1946年)の監督を務めたことでも知られるジャン・コクトーの本。
これ以上ないシンプルな線の遊び心に溢れる彼の絵の作品は僕も好きなので、この本をそのまま飾っても良いかもしれない、なんて思ったり・・。

一枚たったの10ユーロでは少し寂しい気もしますが、並んでいるのはプリントされたものではなく本物の油絵作品なので紛れもない一点物。 もしも気に入った作品が見つかって部屋にも合いそうなら、気に入った額に入れて飾ってみてもいいかもしれません。

銀製のフォークとナイフ、スプーンのコフレ。(セットになった箱のことをコフレCoffletと言います。)
こうした銀製、(純度925のスターリングシルバー、あるいはもっと古い物だと950というのも。)の食器はどんな蚤の市でもまず必ず扱われてるものの一つです。 一本も無くすことなくこうして揃っているところを見ると定期的にホワイトビネガーで磨かれながら大切にされてきたことが伺えます。
中でも僕が好きなのは、こうしたコフレの中でも時折目にするヴェルメイユ(Vermeil 銀の表面を金で覆ってあるもの)の食器のコフレで、それはとても美しく、何度も磨かれて表面の金が薄くなり、下から出てきた銀と相まって玉虫色のような独特な色の輝きになっている物です。
大切な『物』。
日本においては、長いあいだ大切にされた物には魂が宿る、という考え方が昔からあるくらいですが、実際に『物』に魂や、付喪神(つくもがみ)が宿るかどうかは別としても、何か大切だと思える『物』を身に着けたり自身の周りに置く、ということは、それらを作った人に対して敬愛ある気持ちを持つことに始まり、他人に対しても優しい気持ちが持てるようになるということでもあるはずです。
もしもあなたの街で近々蚤の市が開かれるなら、ぜひ散歩がてら足を運んでみてはいかがでしょうか? もしかしたら付喪神の宿る素敵な『物』との出会いがあるかもしれません。
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